生きる
気付いたら生きていた。
勝手に誕生させられた。
なのに自由にできない。
がんじがらめにされて。
親に学校に社会に法に。
産んでくれてありがとう。
俺はまだ思わない。
勝手に生まれさせられただけだから。
本当に自由になったら親に言おう。
ありがとうと。
本当に自由なったらとは生まれてきてしまったこの僕が考え行動することを誰も何も邪魔せず俺自身が生を楽しみ全うできた時なんだと思う。
人を産むということはただの子孫繁栄のためだけにしてはいけない。
親の自己満足になってはいけない。
子を産むことに今僕は有意義な意味を見出せない。
苦しめるだけだこんな世界では。
僕は今生まれて生きている。
生まれたからには生きてやる。
俺のやり方で俺の自由を手に入れて。
僕のお話
小さい頃(思考力がついてから)から自分が見たこと経験したこと信じなかった。
人が言ったことを疑うというか信憑性のないものは聞き流していた。
家族内で死後に臓器提供するか否かみたいな話があった。
みんな提供するみたいな話をしていたけど死ぬなが怖い僕は嫌だと思って何も言わなかった。
そして死んだらどうなるのかを考えた。
死んだら意識がなくなって…この後は長くなるから省くが意識がなくなるってほんと?
死んだことある人がこうなるよって言ったの?
その後のことって分からないじゃん。
まだ意識があって生を実感してるかも、臓器を取ったり遺体を焼くけどその人の形の箱がなくなったら終わりじゃん。
だかり僕は嫌だと思った。
俺は死を実感したい。
その後で本当に意識も存在もないのであれば臓器提供だの遺体を焼いてもいい。
無茶なことを言ってるけど、小さい頃から考えてるこの事は何故か変わらない。
死にたくないんだ。
まだ生を全うしていないから。
話が大きくずれた。
この話はここまで。どの話だよってな。
愛
愛するということは信じるということ。
人を信じるということは人の考えや心、信念を信じるということだから見えないものを信じるということ。
それはとても怖いことだ。
でもそれでもその人を信じるということが真愛なんだ。
その真愛の対象がほぼ異性になるのは生物学的に子孫繁栄のために設定されているものとするしかない。
そして同性愛というものもあるが、信じ、愛に変わった対象が同性であるだけなんだ。
だから同性愛を否定したり嘲笑する人たちがいることが考えられない。
話は変わったが愛は信じることから生まれると考える。
だけど僕は恋するということが分からない。
次はそれを考えたい。
それではまた。
愛
ハンバートハンバートの「同じ話」を聞いた。
自分の行動の制限になるから恋人なんて家庭なんていらないと思っていた。
愛は本当に信じれる人への感情であるのだと感じた。
恋人や家庭という括りにしなくてもその愛は育めるしそれが自分の拠り所となって、信じ合うこと≒愛し合うことが自分で自分を認められ解放できるのかもしれない。
しかしそこには相手を思いやる心も必要で自分のことばっかりは考えているわけにはいかない。
そこを自分の活動の制限と捉えるとすると人を愛することは向いていないのかもしれない。
「悪口は言ってはいけません!」
悪口が本当の素直さなのかもしれない。
そこに嘘はないから。
「〇〇ちゃん大好き〜!」なんて笑顔と嘘を振りまくより自分にずっと誠実でいいじゃない。
自分への他者への素直さや誠実さを隠すことが"大人になる"ことへの第一歩ならば僕はずっと子供でいい。ずっと怒られていていい。
もちろん反論するけどね。
箱
箱に入ると安全で箱の中のみんなと仲良くできる。
いや、仲良くしないと箱から出されちゃうのか。
箱に入ってのほほんとしてれば楽にいきていける。
箱の中の他人に気を使って、自分の欲は出さずにニコニコしていれば、小さい世界で生きていれば他のこと考えないで生きていけるから。