ハンバートハンバートの「同じ話」を聞いた。

 

自分の行動の制限になるから恋人なんて家庭なんていらないと思っていた。

 

愛は本当に信じれる人への感情であるのだと感じた。

恋人や家庭という括りにしなくてもその愛は育めるしそれが自分の拠り所となって、信じ合うこと≒愛し合うことが自分で自分を認められ解放できるのかもしれない。

 

しかしそこには相手を思いやる心も必要で自分のことばっかりは考えているわけにはいかない。

そこを自分の活動の制限と捉えるとすると人を愛することは向いていないのかもしれない。